私にとっての”塾”の原点

塾長の私が初めて「塾」に出会ったのは、もう30年以上も昔、私が小学校5年生の時でした。

当時は中学受験はまだ珍しく、1クラス45人のうち中学受験をしたのは4,5人という時代でした。

きっかけは私の母が、今でいうママ友に言われた、「あそこの塾、いいらしいわよ」という一言だったらしいです。

 

私が生まれて初めて通った塾、「藤田塾」は、自宅を改装して机を並べただけの個人塾で、確認テストの点数が悪いとお尻を竹の棒で叩かれる、今でいうスパルタ塾でした。

 でも、まだ幼かった小学生の私は、特にスパルタと感じることもなく、ただお尻を叩かれたくない一心で勉強していたのかも知れません。

 

 その藤田塾でさらに印象深かったこと、それは「勉強を教えてもらった記憶が全くない」ということです。

入塾するや否や、今でも存在する参考書『応用自在 算数』を”解答冊子”を抜いた状態で手渡され、それをひたすら自分の力で解く、わからなかったら例題の解説を読んでもう一度解く、この繰り返しでした。

 それでもどうしても解けない問題は、問題番号にレ点を付け次の問題へ進む。そして、その単元の最後まで行ったらまた最初に戻り、解けなかったレ点の問題に取りかかる。そんな感じでした。

 

 今でもその時の塾仲間、数人(もう30年以上もの付き合いになるわけですが)と年に1回会う機会があります。決まって話題にのぼるのが「藤田塾」の話。みんな口をそろえて当時の「藤田塾」のことを、『あの塾は、何も教えてくれんかったなあ。ほとんど全員が、自分のポテンシャルだけで伸びたもんなあ。』と言います。

 でも、私も仲間たちもわかっているんです。

『まだ幼い小学生のうちから、自分で考え、これでもかこれでもかと繰り返し問題にぶつかっていったあの経験があったからこそ、今の自分たちがある。そして、知らないうちに「自分で考える」ことを身につけさせてくれ、そのことがいかに生きていく中で重要であるかを今になって教えてくれている『全く教えてくれない藤田塾』と『お尻を竹の棒で叩く塾長』に感謝!』と。

 

 これが私にとっての”塾”の原点であり、(まさか自分自身が「塾長」になるなんて思いもしませんでしたが、)私が子供たちに教えていきたい『自分で考える力』の根底にあるものなのです。

 

 

神戸市中央区三宮町(元町・三宮) 個別指導個人学習塾 「順進塾」